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はじめに

祖父江友孝
国立がんセンターがん対策情報センター がん情報・統計部

 

 がん対策基本法の成立・施行により、適切ながん医療を日本全国どこでも等しく受けられるようにすること、いわゆる「がん医療の均てん化」を促進することが国の責務であるとして明文化されている。その「がん医療の均てん化」の達成度を評価するためには、がん医療の質を測定する標準的な方法を開発し、がん医療の質の現状を把握した上で、どの程度格差が解消されたかということを測定する必要があるが、残念ながら、がん医療の質を測定するための標準的な方法はまだ確立していない。本研究班では、がん診療の質を測定する1つの方法として、「診療の質指標」(Quality Indicator、以下QIと略す)を主要5臓器のがん(乳癌・肝癌・胃癌・大腸癌・肺癌)および、緩和ケアについて作成した。

 

 本書で紹介するQIは、行われた診療内容を直接評価するプロセス指標である。基本的には「現実の診療がどのくらい標準に沿っているかの程度を診療の質とする」という考えに基づいており、標準を診療ガイドラインや幅広い関係専門家のコンセンサスにより決定する。診療の質を、生存率、合併症発生率、あるいは、術後死亡率などの診療のアウトカムを対象に評価する考え方もある。しかし、これらのアウトカムは診療の質以外にも、がん自体の性状(進行度、悪性度)、患者の状態(年齢や合併症の有無)などの影響を受ける。また、生存率の場合は診療から結果が出るまでに、数年単位の長い時間を要するなどの問題がある。この点、プロセス指標は、がん診療の現場に対して結果を適宜フィードバックすることが可能であり、問題点を把握し改善する活動につながることが期待できる。

 対象施設としては、全国のがん診療連携拠点病院(以下、拠点病院と略す)を想定してQIを作成した。これら拠点病院の中で、診療の質にどの程度の差が存在するのか実証的データは存在しないが、まず拠点病院において「がん医療の均てん化」を検証・達成することが当面の目標として適切と考える。この設定はあくまで測定を念頭としたもので、本研究で設定したレベルは拠点病院を受診した患者だけが受けることのできるレベルではなく、他の医療機関を受診しているがん患者であっても、地域連携を通じて最適な施設を受診することにより、日本のすべてのがん患者が受けるべき診療レベルと同義として考えている。

 

 QIを測定するための情報源としては、診療録からの採録を前提とした。これは、情報源を可能な限り限定せずに、「診療の質とは何か」「それを測るにはどうすればよいか」を追求するためである。逆に診療報酬請求情報(レセプト)など別の目的で収集されているデータを情報源として、収集可能な情報を利用してどのような評価ができるのかを検討する方向性もあり得るが、その場合には「診療の質」を十分にとらえきれていない危険性がある。本研究では、広い分野をカバーする指標群を検討するという意味で、情報源を診療録とした。本研究の検討結果を踏まえて、電子的に存在する情報のみを利用する場合の限界を検討することができる。将来的には、さまざまな情報源を組み合わせて効率的に情報収集することが必要である。

 

 実際の採録は、診療情報管理士、看護師、薬剤師など、医師以外の職種によることを想定している。特に拠点病院では、院内がん登録を行う実務者の雇用が指定要件の1つとなっており、こうした実務者による採録ができれば、より多くの施設での測定が可能となる。QI測定のために必要な情報は、院内がん登録に比較して詳細であるため、採録に際しては、若干の研修が必要と考えられるが、院内がん登録実務者であれば、短期間のうちに収集可能なレベルに到達すると考えられる。逆に、院内がん登録実務者レベルでは不可能な特殊な技能、例えば病理組織の写真を吟味するとか、レントゲン写真の読影といった技能を要求する内容のQIは除外した。

 

 「現実の診療がどのくらい標準に沿っているかの程度を診療の質とする」とはいっても、この標準とは何かということを設定するのは非常に難しい。本研究では2007年度1年間かけて5臓器1分野のQIを国際的標準手法に従い、エビデンスとコンセンサスを総合してQIを作成した。方法論の詳細は本編に譲るが、アウトラインとしては、ガイドライン推奨や海外の先行研究からQIの候補を作成し、その根拠となるエビデンスをまとめ、さまざまな科・分野の専門委員に依頼して、事前評価の上、丸1日缶詰めで議論を戦わせた結果できあがったものである。特に「診療の質とはどのようなことで測れるのか」に主眼を置いて検討したために、医事データや診療科データベースからすぐに測定できる項目から、カルテを詳細に読み込まないと測定できない項目まで実測の手間や難しさはさまざまである。これらをどのように使っていくかは、各施設で自施設の診療の検証に使う、あるいは他施設との比較に使うなど、いろいろな目的があると考えられる。しかしその際には、これらのQIはまだ実地における評価の確立したものではなく、実測を積み重ねることで、評価を進めていく発展段階にあることに留意する必要がある。

 

 加えて、本研究のQIを利用するにあたって留意すべき点がいくつかある。

 第一に、医療の進歩に伴って標準が変化する点である。最新の資料を引用して作成したとはいえ、標準は常に変化する可能性がある。そのため、使用に際しては最近の進歩を考慮する必要がある。

 第二に、QIは施設を単位として測定することを想定したもので、個々の患者に関する絶対的な標準ではないという点である。標準を意識することは医療者の責務であるが、それを、個々の患者に対して最適な診療として調節するのは、より重要な責務といえる。そのために、多くのQIには、(そこで示す診療が)「行われない場合には理由が記載される」ことを条件にして、そのような選択をとらえる努力をしている。このことは採録者の負担ではあるものの、QIを「質」と呼ぶために必要なことである。

 最後に、QIに不適合で質が低いとされる診療が行われていた場合に、それは必ず医療関係者個人の責任であるとはいえないと考えることも大切である。質に問題がある場合には、それを生み出す医療提供システム全体に問題がある場合が多い。システムそのものを改善しない限り質は向上しない。たとえ、個人に問題があると思われる場合でも、その個人をその状況に陥らせたシステムは何だったのかということを考えなければならない。常にシステムを考えることが改善への近道であり、高い質の診療の維持には必須である。

 

 診療の質を向上させるには、正しく現状を知って問題点を把握し、的確な改善対策を実施して、さらにその効果を検証することが重要である。本研究班のQIがこのような目的で広く使用され、全国のがん診療の質が向上し、さらには、国の目標である、がん死亡の減少、療養生活の質の向上につながる一助となれば研究代表者として望外の喜びである。

 

平成21年3月吉日